[A4妄想]Amazonの3分間お試し閲覧機能 あったらいいな
Amazonでの書籍の購入の際には中身を閲覧できるように
「サンプルのダウンロード」という機能が存在している。
その特徴としては書籍の「冒頭」何%かのページが読めるというものである。
しかし、自分自身が書籍を買うときは
ほんの最初のページだけを読んで購入を決めるというのは
ほとんどない。
なぜなら「はじめに」の部分には
本の紹介しか書かれていないからである。
だから、中身を見てデザインや本の読みやすさを考慮して購入を決めている。
つまり、Amazonのサンプルダウンロードはあまり便利でない
ということを知ってもらいたい(自分にとって)。
したがって、冒頭の数ページを閲覧可能にするのではなく、
「3分間自由閲覧可能」という機能を取り付ければ
購入確率は上がるのではないだろうか。
いわゆる「お試し短時間レンタル」として
実際に手に取ってもらう感覚で、
WEB上でも中身の閲覧を可能にすれば、
消費者も安心して確実な購入をすることができるし、
「思ったのと違った」という理由による
「返品」というコストも省かれる可能性がある。
上記の理由からAmazonに限らず書籍に携わる業者は
「短時間レンタル可能」という機能を。
「お試し閲覧」という設定でも設けてみたらどうだろうか。
以上、こんなのあったら便利だなと思ったことでした。
もうすでにあるんですかね?
あれば教えてくださいー。
げんき。
川崎市 溝の口 について
「溝の口の歴史」
自分自身が住んでいた溝の口という街には、当時闇市が広がっていた。その名残で、西口商店街などでは昔ながらの八百屋が立ち並ぶ。今残っているのは十字屋くらいだが、中央商店街には安い果物屋野菜を売っている商店が一部並んでいる。また、溝の口には大山街道が通っており、246号線もその近くを通っている。この道は静岡県にも伸びているほど大きく、当時の幕府が使用したというよりかは、庶民がお参りの際に使う参道として利用されていたり、旅人のための宿泊施設が立ち並ぶことが多くあったそう。毎年夏には「区民祭」が開かれて、歩行者天国での屋台が毎年街を賑わせている。
さらに、地元の溝の口神社は伊勢神宮から分霊を受けている神社でもある。毎年、酉の市などのお祭りで賑わっているのが印象的だ。
さて、課題の一つ目の話であるが、そんな溝の口は田園都市線と南武線の結節点となっており、タクシーやバスロータリーも市民の足として活動している都市である。しかし、決して広い土地というわけではないので、交通渋滞や歩行者の安全確保が課題である。課題の二つ目には、駅周辺の活性化をはかるために、商業施設の受け入れや、遊休地の市による取得を目財していった。商業施設の例としては、『NOCTY』と呼ばれるマルイに併設されているデパートビルの開発をしてみたりである。NOCTYができたのは19年前の平成21年であるから、今現在どのような活動をしているのか、川崎市のホームページで調べてみたがイマイチでてこなかった。
「地域風紀開発」
実際に自分自身が住んでいて気づいた開発地区を今度は述べてみようと思う。まず、先ほど溝の口はバスや、タクシーなどの利用が活発であると述べたが、市民の足としては「自転車の利用」も活発である。ということはもちろん、自転車の無断駐車が目立っていた。この、「放置自転車」という課題に対して、ここ2、3年溝の口を含む高津地域では、「放置自転車の自転車の回収」活動をさらに強めたように感じる。僕自身も、自転車を持って行かれてしまったから、この活動は有効に働いていると感じる。さらに、方うち自転車の回収だけではなくて、溝の口の南口を再開発し、「自転車駐輪場」を増設した。この駐輪場は地上に止めるタイプではなく、地下駐輪場として設立されている。実際の利用常用はわからないが、溝の口の「ポレポレ通り」と呼ばれる、商店街に止めてあった自転車の数は確かに減ったように見えた。溝の口の街が少し綺麗なさっぱりした韻書を作れているのではないだろうか。
「サバイバル戦略」
自転車の駐輪場を作っただけで地域復興がされるとは思わない。きっと、市の職員の方もそう思ったに違いない。次に溝の口は「ゲームセンター再建築」を行なった。「タイトーステーション」というインベーダーがロゴの商業施設である。元々は「武蔵ボウル」というボウリングセンターが中心として活躍していたが、今ではユーフォーキャッチャーやアーケードゲームが主な活動施設となっている。新しく「カフェ」「飲食店(しゃぶ葉)」なども入り、庶民の憩いの場となっている。しかし、やはりゲームセンターということは若者にターゲットを向けていると考えるのが妥当であろう。若者の住みやすい街、明るく楽しい街というイメージを目指しているのだろうか。渋谷からも近いため、そちら方面からの流入も狙っているのかもしれない。
このように溝の口は「地域維持」という面で「自転車整備」、「市民の街」としての「商業施設(ゲームセンター)」の開発を行なっている。
「自分の考える産地革新」
溝の口はこれからどうなるべきなのだろうか。
市民視点でいうと、「映画館」が欲しいところだ。ボウリング場も、隣駅の高津駅に行けば「ラウンドワン」が存在する。溝の口にも武蔵ボウルはあるが「値段が3ゲーム二千円」となかなかの値段だ。中学生や高校生以上が遊ぶのは構わないが「小さな子供が遊ぶような施設」は少なく感じる。映画館があれば休日に親子で遊ぶことも可能だし、わざわざ二子玉川までいかなくとも映画を見ることができる。しかし、いらないといえばいらない。二子玉川までも10分足らずで到着することができるからである。
一つ問題点があるとすれば、昔ながらの伝統、が多いというところだろうか。最初に述べた闇市の名残がいまだに残っている。もしそれらの伝統がなくなれば、また新しい風を吹かせる企業や施設が参入してくるだろう。きっと溝の口の市民は溝の口が大好きなのである。だからこそ、新しい風が吹きにくいのも確かである。僕の結論としては、異色の活動を受け入れて、古きを壊し新しきを受け入れることがこれから溝の口が生き残る上では必要になってくると考える。
げんき。
評価経済社会2
1:アンドリューウール
「一旦成長期を過ぎてしまったら、農民の子でも職人の子でも優秀な工場労働者に仕立てるのは不可能である。若者を、あらかじめ産業制度ように育てられればあとの仕込みの手間が大幅に省ける。」
すなわち公共教育こそ産業社会には不可欠である。
アルビントフラー「工場での労働を想定して、公共教育は基礎的な読み書きと算数と歴史を少しずつ教えた。だがこれは、いわば『表のカリキュラムだ』その裏にははるかに大切な裏のカリキュラムが隠されている。その内容は3つ。いまでも産業主導の国では守られている。
1;時間を守ること
2;命令に従順なこと
3;反復作業を嫌がらないこと。
この三つが流れ作業を前提とした工場労働者に求められている資質だ。」
義務教育の目的として最も大切なことは実はこんな目的があったのです。
最も大切なことは知識の習得ではなく集団生活を学ぶことだ、とはよく言われるが、集団生活を学ぶというのは実は工場で機械的な集団作業をこなすための練習だったのです。つまり、作業員養成特別システムです。
→こんなことが本当であってもそれはそれでいい。でも、今現代、こう言った養成施設は、働き方の違いが生じているからいらないのかもしれない。時間を守れる人、約束を守れる人というのは周りの人にとっては便利と思われたり、優秀な人だと感じられることは確かにあるが、本人が本当に幸せかどうかはわからない。その人が無理して約束を守っていたり時間を守っているのであればそれは本当の意味では幸せとは言えないような。ただ、幸せの定義が人次第であると考えてしまえばそれはそれである、、、。
2:
知識、指導者にすがるというのは「自分は知らないからこの人に任せよう」
という他者依存のことである。
当時の神父さんは現代に置き換えると池上彰である。
→自分自身が知識を持っていないからと言って「専門家」「有識者」に責任をなすりつけていいわけではない。ましてやそれに対して文句を言うといのはご法度なのではないだろうか。政治家に対して「フザケンナ」とか言うのは簡単に言える。「じゃああなたがやりなさい」そう言われたら批判者は言い返すことは難しいのではないだろうか。「それを言ったら政治家として失格?」政治家は鬱憤を晴らすための道具ではない。「文句を言うこと自体ナンセンス」自分自身でどうにかするしかない、のかもしれない。
3:働いているのは「こき使われているだけ。」
私たちは別の形の大人になろうとしているだけ。
少しくらい貧乏でもいい。
将来の保障がなくとも構わない。
最低限食べるお金があればよく、
意に沿わない仕事について多額のお金をもらうのをよしとしない。
自分を豊かにするために時間を使いたい。
→今現在の仕事に対する価値観というのは当時のような「お金」があれば良いというものではなくなっている。多少金銭が少なくても自分のやりたいことを行い、自分自身の成長のために働くそんな「青春」のような仕事を若者は求めているのかもしれない。今現代を作ってきた仕事人たちのことは確かに尊敬はしているが、でも沙汰に時代はかわりつつある。結局いつの時代の経験者も結局は「結果」を語っているに過ぎずどの時代にも通用する考え方というのは存在しないのである。腹をくくって今の自分自身を受け入れていくのがある意味一番幸せな選択肢のではないだろうか。
評価経済社会とこれからをどう生きるかを考えるための5つのヒント。新しい時代の価値観を知り、一歩先の人間となる。
あなたは今
どの時代を生きているか答えられますか?
1:今の時代ってどんな時代?
就活や将来に悩む学生に、「この先はもっと不透明だぞ」と「励ましたり脅したりする以外に何もできない」人たち。
貨幣経済社会は失われつつある今現在どんなことが起こっているのだろう。
→貨幣で物事を判断するという方法は古くなっている。とにかく今は「影響力」であったり「自分自身の価値観を大事にする」といった生き方が流行っている。人生にも流行りがあるのかもしれないという思いを抱いた。
2:不安や心配がありますか?
今はわからないから不安なだけで、
わかればある程度不安は解決することができる。
→何事も知らないが故の恐怖や不安を感じることがある。しかし、知らないことを知ることはできても、行動しなくてはわからないことはある。例えば我々男性は女性の出産の痛みを知ることはできるが、本当の痛みを感じることはできないのである。
3:トフラーさんの時代に対する考え方
農業革命→産業革命→情報革命
情報革命では「人間の悪意を最大限化する」というトフラーの予想しない動きも出てきた。
→トフラーは未来学者という名前で本書では登場していたが、実際どんな人かは知らない。しかし、この人は「科学主義」であり科学は人の人生をよくするというポジティブな意見を持っていたが、上に書いてあるように、「裏サイト」や「ラインでのいじめ」などが顕著になっているのが情報革命による人間の悪意だと著者は述べている。
しかし僕は、科学は人間を豊かにする「科学主義」の立場である。パソコンやスマホなど、問題はもちろん発生しているが、それでも人間のつながりを強めていると実感するからである。
4:人に優しくする勇気
優しい情知の法則という言葉をご存知だろうか?
これはつまり
「不足しているものを大切にするのは美しい。」という価値観のこと。
今現代で言えばクジラや動物愛護だろうか。不足しているもの弱者を守ろうというのもこのような優しい情知の法則に当てはまるのだとすれば、きっと弱者を守ろうというのもこの法則に当てはまる気がする。
しかし、「弱者」というのは相手の「優しさ」に漬け込んで相手を自分の味方にしようとするものだ。「弱者」「被害者」これほど人間関係を簡単に壊せるものはないと私は思う。
5:客観視をしている主観的人間
アダムスミス「理性の力」
今自分自身が所属する部活の中でそのほかの部活動の辛さを感じ取るのは難しいということ。教師にとってIT企業の会社員の苦労を知ることはできないというのがこの言葉の意味。
パラダイムというのは「社会での基本通念」という意味。簡単に言えば共通理解、とも言える。私はあなたのことを理解することは駅ないし、あなたも私のことを理解することはできない。理解するには私があなたになるしかないだろうということ。
その環境に身を置くことで真の理解ができる。
時代に関してはこちらも参照してみてください
今の時代の答えがここにある
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感想
新しい時代の生き方について考えてみた。第4次産業革命が起こるこの時代に何を思って生きていけばいいのか。
とにかく評価云々よりも行動することが大事なのはどの時代でも変わらないものだと思う。
げんき