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meta 百田尚樹 カエルの楽園 「救えない人間」

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2019/2/25

 

「親の世代で通用した知識」が

今現在の世代には通用しなくなっている。

 

知識の陳腐化は知識の陳腐化は

5年間で80%以上起こると言われている。

 

どの時代にも保守的な人間は存在するが、

時代を作ってきたのは保守派の唱え方でいう「異端派」である。

何をもって普通・異端を決めているかというのは、頭の中の多数決だろう。

 

本当に多数かどうかはその人の頭の中の民衆によって決まる。

 

「大勢の人がこう言っている!」

「常識ではこうだ!」

 

という、根拠も理由もない「数の暴力」で自分自身の信念を作り上げる危険性。

 

「常識ではこうなっている」という時の人間の心理は「他の人もこう言っているからそうに違いない」という「思考停止」かもしくは、「他人が言っているから私の意見ではない」という常識という他者意見への「責任転嫁」。どちらにしろ自分に被害が及ばないように、「常識」を使っている。

 

大勢の理論は自分も使いがちだし、

厄介なのは「常識の自動化思考」が

脳にこびりついているところだ。

 

意思決定に困ったら常識的に考えてしまう。

これじゃあ成長できない。

 

じゃあこの事実なきずいたら何をすれば良いのか。

 

あとは他人と違っても高慢に自我を通すべきだ。

 

発言も大事だが、行動によって体現していくことが大事。

 

 

 

 

 

 

 

元記事

 

この世の中には

救えない人間がたくさんいる。

 

それは

①意見を変えることのできない人間。

②同じ思考を永遠と続ける保守派の人間である

 

①と②はどちらも同じ意味であり、

他にもさまざまな表現はできるが省略。

 

①や②を持つ人は

きっと、

自分のプライドを

守っているつもりなのであろう。

 

首尾一貫していないと信頼が失われるからというのが1つの理由だ。

 

たしかに、

言っていることがコロコロ変わる人間は

信用ならないが、あなたのように

「首尾一貫しなければ」と普段から

気を使っている人がたまに意見を変えても、

誰も文句は言わない。

 

むしろ。

物分かりの良いあたまのきれる人間

というポジティブなイメージを受ける。

 

さらに、

今まで1つのことを信じてきた私って

美しいとという自己陶酔を持っているはずだ。

 

生まれてから死ぬまで、ピンからキリまで

清潔でないと自分自身を保てず、

 

過去に少しの汚れも自分自身にはなかった。

だから将来も思考を変えなくて良い

と自信を持って言えてしまうような人。

自己洗脳のうまい人間。

 

そのような人には私生活でも要注意したい。

 

 

1つの提案したいのは、

「飽きる」ということを

「学んで」欲しいということ。

 

毎回同じような思考で飽きないだろうか。

慣例で行う思考にはもはや意味はない。

自ら同じことを繰り返すパソコン人間に

成り下がっているだけなのに

気づかないのだろうか。

 

思考というのは行動に移る前の

小さな動機である。

 

小さな「このままでいいや」という選択を

日に何度も行えばそれだけで

自己洗脳の完成である。

 

 

百田尚樹の「カエルの楽園」でも、

このような慣例主義、「不変主義」を貫く

カエルたちが、

現実の人間に風刺されて描かれている。

 

「抵抗」をしないカエルたちは

次々に死んで行くき、「平和的解決」を求め、

我々が粗相を犯したから死者が発生したと、

犯罪者を慰めるのである。

 

相手を怒らせないように自分自身を

押さえつけて生きていく。

側から見れば惨めな姿だ。

 

その中で、

「抵抗するべき」と発言する者は

異端扱いされ、殺害されてしまう。

 

 

 

 

日本の政治に当てはめてみると、

日本が自衛隊を持つべきでない

と考える人がいる。

 

そのような人は、「安保条約があるから」

戦争はアメリカに任せればいいという、

理由だろう。

 

ある意味責任転嫁。

 

もし、日本人が戦わずに死んで言っても

憲法を守っているから正しいのである、

アメリカよ、早く迎え撃ってくれと

自分自身を慰めるのである。

他力本願。

 

自分の国でなんとかしなければ、

その国に将来はない。

 

これから先、

政治参加をする責任。

情報の「真実」を見抜くリテラシー

(むしろ、「本物の発信源」を探すべき。

テレビ、新聞はやはり偏見が混じっている。

冤罪レベルで。)

を高めていかなくては、

自分から自殺しに行くような人生を

送ってしまうことになる。

 

 

 

日本の社会を映し出す風刺的話を読みたければ

百田尚樹」の「カエルの楽園」を勧める。

 

 

後記

 

テレビを捨ててから半年。

スッキリとした生活を送っています。

無駄な情報が入ってこないので、

質の高い情報を自分で積極的に選ぶ能力が

養われている実感があります。

テレビだとどうしても受け身になりがち。

 

リテラシー能力を上げたい人は

まず、テレビのコンセントを抜くことから

始めるのが近道であると

経験からオススメします。