ゲンキのブログ

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「アドラー心理学」「嫌われる勇気」その1

 

はじめに

 

アドラー心理学とは、

 

世界的に有名な「フロイト

ユング」と並ぶ三大心理学者のうちの一人。

 

「人を動かす」で有名な

デールカーネギーからもお墨付きのアドラー

だが、

日本ではその存在はまだ薄いらしく、

現に僕の友人に話しをしても、

アドラー?いやぁわからん」

という反応ばかりだ。

 

なので、

このブログでアドラーについて

色々な世代の人が少しでも興味を

抱いていただければ幸いだ。

 

 

 

1アドラー心理学って?

−目的論と原因論

 

心理学と聞くと「トラウマ」や

夢分析」などの過去の分野について

焦点を当てることが多い。

 

この手法を得意としているのが、

ジークムント・フロイト」であり、

原因論的心理学」と呼ばれている。

 

それに対してアドラーの考え方は

目的論的心理学」と呼ばれ、

この2人はのちに対立していく。

 

例えば、引きこもりの子がいたとする。

この子は過去に学校での「いじめ」

を受けて「トラウマ」となった。

毎朝学校に行く時になると「恐怖」に押しつぶされて、学校に行けなくなってしまう。

 

この時、

「過去のいじめが原因で、学校に行けない

(トラウマ)」と言うのが

フロイトの「目的論」であるが、

 

アドラーは「学校に行きたくない(目的)

のために恐怖を作り出す」と考えるのだ。

 

しかもこれは「嘘の恐怖」ではなく

「本物の恐怖」であるとアドラーは考える。

 

ちなみにこの話からわかるように

アドラーは「トラウマを全否定」している。

 

 

別の例で考えると、

「大きな声で怒る先生」なんて言うのが

わかりやすい。

 

フロイト的には「怒り(原因)によって大きな声を出す」であるが

 

アドラーは「大きな声を出したい(目的)から、怒りという感情を作り出す」と考える。

 

つまり、

アドラー心理学を習得することで、

「トラウマ」を克服しさらに、

感情の支配、コントロール」まで望める。

 

 

 

2「善と悪」「幸せと不幸」の捉え方。

 

殺人は悪いことであるから、

してはいけない。

 

しかしそれは

「殺人=悪」と考えるからである。

 

殺人鬼はきっと、

殺人=善」と考えたのである。

 

人は良いことや悪いことの判断能力が

備わっており、

幸になるか、不幸になるかの判断能力も同じく備わっている。

 

今現在「幸せ」である人は

「幸せ=善」と考えているのである。

 

そして、

今現在「不幸」である人は

「不幸=善」と考えている。

 

したがって、

幸、不幸にかかわらずそれが彼らにとって、

善であり生きがいなのである。

 

不幸な彼らは「自ら都合の良い不幸を選択」

しているのであるから、

なんら心配することはない。

 

不幸な彼らにも救いはある。

というのも、人間は「ライフスタイル

つまり、

自分で選んだ、作り上げた性格」であると

考えるからである。

 

「自分で不幸を選んだ」のならば

自分で幸福を選び直す」ことも可能だ。

 

ある意味人が変わる瞬間であるが、

それでも変わることができないと嘆く人がいる。

 

そのような人たちは、

変わらない」という決断を日々下して生きているである。

 

彼らは「幸せになる勇気」が足りていない。

 

この人たちの心理を掘り下げると、

「変わることで幸せになれる可能性」

を残しておきたいのである。

 

「進研ゼミのやればできる

(放置状態何もしてません)」だ。

 

 

僕は思うが、

「人間誰しも変わる必要なんてない。」

変わらなきゃ」という言葉を「成長しよう

に置き換えて考えてみてほしい。

 

今のままで良い。

さらに成長をしよう。

 

今の自分は保ったまま、

新しい自分をどんどん肉付けしていく心持ちが

大事である。

 

 

 

後記

 

1500字程度。

とりあえず一旦ここまで。