げんきのブログ

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「アドラー心理学」「嫌われる勇気」END

 

 

いまここを真剣に生きる。

 

自己受容と

他者信頼

他者貢献

 

 

 

変えられるものと変えられないものを見極めること。

それを肯定的あきらめという。

 

与えられたものをどう使うか

我々は何かの能力が足りないのではない。

 

勇気が足りないのである。

 

 

他者を信じるに当たって一切の条件をつけないこと。

 

他者貢献とは私を捨てて

誰かに尽くすことではなく、

むしろ私の価値を実感するためにこそ

なされるものである。

 

他者が私に何をしてくれるかではなく、

私が他者に何をしてあげられるかで判断をする。

 

 

 

攻撃してくるその人に問題があるだけであって誰も悪くはない。

 

ネガティブな人はどうでもいいはずのこと一部に焦点をあてて

そこから世界全体を評価しようとしている。

 

忙しいが口癖の人は 

仕事や忙しさを口実に他の責任を回避しようとしているに過ぎない。

仕事が忙しいから家族を変えりみることができない

というのはこういう理由からである。

 

誰のおかげで飯を食えると思っているのだという親は

飯を与えるという行為」でしか自分自身を評価できないのである。

 

たくさんの時間働き、

家族を養うだけの金銭をかせいでいる。

 

社会からも認められている、だから自分は家族で一番偉いのだ。

 

仕事をしている時にしか価値を感じることができず、

人間の存在としての価値はどこにも見当たらない。

 

他者貢献は目に見える形でなくとも良い。

自分自身が貢献できていると感じることであればそれで良い。

 

 

 

 

幸福とは貢献感のことである。 

 

承認欲求を得て得られた貢献感には自由がない。

 

他者の注目を集め「普通の状態」から脱し、

「特別な存在」になること。

 

特別にあろうとする人間はこのようなことを考えている。

つまり「安直な優越性の追求」である。

 

 

 

「普通であることの勇気」それがあるだろうか。

 

普通を拒絶することは

「無能であることと同義である」と捉えているのだ。

普通をのぞむならば優越性を誇示する必要はないのである。

 

 

 

 

 

人生とは刹那の連続であり、

今ここを生きることしかできないのである。

 

将来や過去を生きることなど到底不可能であり、

現在という考えしかできないのである。

 

人生設計、キャリア設計も必要がない

 

計画的な人生などそれが必要とか不必要かというよりもまず不可能なのである。

 

人生とは今この瞬間をダンスするように生きる。

今ここが充実していればそれでいいのである。

 

今ここが充実していればそれでいい。

 

メメント・モリ

明日なんてない。今を謳い語り合おう。

 

 

 

 

 

目的地にたどり着こうとするような人生は

キーネーシス的な人生(動的)と呼ばれ

エネルゲイア的な人生とは現実活動的

と言い換えることができる。

 

過程そのものを結果と見なすような働き。

旅の途中、何らかの事情でピラミッドに到達しなかったとしても

旅をしなかったことにはならない。

 

 

 

今ここに強烈なスポットライトを当てていたら

過去も未来も見えなくなる。

過去にどんなことがあったかなど

現在の自分には関係ないし

未来がどうであるかなど今ここで考えることではない。   。

 

 

今できることを真剣に

かつ丁寧に一つ一つ行なっていくこと。

 

いまここを真剣にいきること。

 

人生の最大の嘘は今ここを真剣に生きないことである。

 

一般的な人生の意味などはない。

 

これから何ができるのか、

人生の意味は自分自身が自分自身に与えるものである。

 

 

他者に貢献するという導きを見失わなければ

迷うことはない。

何してもいい。

 

 

世界とは他の誰かが変えてくれるものではなく。

ただ私によってしか変えることはできない。

 

 

 ーげんきー