げんきのブログ

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マンガ デールカーネギー 人を動かす

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相手とのコミュニケーションを円滑な心良いものにしたいからこの本を読んだ。

 

 

 

罪人にも五分の理を認める。

 つまり罪人には罪人なりの理論があって行動したのだから、その人にとっては刑務所に入るよりも、罪人というレッテルを貼られるのが嫌だという気持ちよりも大事なことだったのである。社会的には確かにやってはいけないことではあるが、対人関係を築く上では相手の感情を認めるというところから始めるべきということであろう。一度相手を受け入れること。これは、子供と接する時にも使えそうである。

 俗にいう問題児という子達と接する際は、頭ごなしに叱りつけるよりも、あとでそお話を聞いてあげたり、話し方の方法を教育するべきである。子供はただ単に知らなかただけなのかもしれない。もし、知らなかっただけでなく、わざと問題行動を取っているのならばこういう風に考えて欲しい。あなたの前で問題を起こすということは、あなたに何か訴えたいというボディーランゲージなのではないだろうか。自分自身の気持ちの表現方法がまだわからないから、問題を起こすことによって助けを求めているのかもしれない。もしそのような子に出会ったら、解決方法を考えてあげて欲しい。時には話をしないで見守ることも大切である。

 

 

重要感について。

人は存在しているだけで意味があるというのは嬉しいことであるが、そのことを言葉にされる方がもっと嬉しい。マズローの欲求の段階なんていうものがあるが、「重要感」を満たすという欲求は私生活の中でほとんどないように感じる。「あなたがいてくれてよかった」なんていう言葉は実際言った記憶もないから、その場面は少ないのかもしれない。存在することでの役割というならば、「体の大きな人が隣にいると安心する」「よわよわしい人がそばにいると守りたいという強い心を持てる」なんていうことも少なからずあるはず。存在として感謝できる瞬間にアンテナを張って見ることにする。

 

 

相手への関心の持ち方。

相手の話すことに興味を持つことは苦手。正直バイト先の人たちの名前を覚えていくのはめんどくさいし、生徒の名前もそのうち覚えるでしょなんていう風に思っている自分がいる。でも、そんなことをしていると、覚えるのが遅くなるし、その程度の態度が現れることになる。それでは得られる信頼も得られない。相手への興味が持てない場合はまず「相手の名前だけでも覚えること」をお勧めする。まずは相手の名前を覚えない限りはコミュニケーションは進まない。それに、僕自身次会った時には名前を覚えてくれていたら嬉しい。それに、ネームプレートを見て、名前を聞くまでもなく読んでもらえるとなお嬉しい。そんなわけで、名前くらいは覚えようかなと。相手への関心が持てない人は、名前覚えるのお勧め。

 

 

 

相手との会話を進めるということを「相手を説得すること」と考えてしまう人がいる。

例えば「勉強方法がわからない」なんていう保護者様の中には、本当に勉強方法を聞きたいのではなく、「悩んでしまっている状況」を解決して欲しいと思っている方がほとんどである。勉強方法がわからないことも、解決するべきであるが、まず今解決できるのは、その悩んでいる心に対してのアプローチだと僕は思う。論理的な解決方法と、感情的な解決方法。塾講師として勉強法の提示は少なくともできるはずなので、「感情的な話をたくさんできるようになりたい。勉強というものは、学んでいる生徒だけではなく、近くに関わる人のことも悩ませてしまうのである。さらに勉強は一人で孤独に続けられるものでもない。子供の周りの親という存在が、悩んでしまったら、子供も思うように勉強できるとは限らない。

 親の中には子供を縛り付けているようなご家庭が存在するが、きっとその親は「縛り付けている」なんていう風には思っていない。厳しくするのは「この子のためだから」なんていう考えからがんじがらめにしてしまうのであろう。放任も問題ではあるが、親と子の関係の前に、対人関係、人間関係ができていないと、親子関係なんていうものはできない。子供がいるわけではないがそんな直感が思い浮かぶ。

 

 

相手の立場になって考えることよりも、ネガティブな気持ちになって考えること。

もし自分自身が相手の立場だったらどう考えるか。もし自分自身が親の立場だったらどう考えるか。そういう風に考えることをよく本で見かけるが、その場合、自分が親だったらきつく叱りつけず、優しく教えさとし、仲睦まじいい親子関係を築き上げる、なんていう理想が思い浮かんでしまい、厳しくしている親に向かってそんなんじゃダメですよという説教をしてしまうだろう。そうではなく、会話の中心なんていうのは大概、「自分自身の悩み」であることが多い。だからこそ、その悩んでいる気持ちを一度受け入れることが必要なのではないだろうか。相手の気持ちになって考えるというのは、自分自身の気持ちを暗くしたり、明るくしたりする能力が必要となってくる。相手のために気持ちを動かすことができるだろうか。少なくともこれを行うだけで相手の声つきが明るくなっていくのを実感している。相手の気持ちになるというのはほんというに心が折れるが、今思うとああいう瞬間は人として成長するタイミングであるから嬉しい。次話をする人とも感情を合わせられれば嬉しい。

 

 

 

 

その他。

わずかなことでも褒められると嬉しいよね。むしろ大きなことを褒められるより、そっちの方が大事なんじゃないかって最近思ってる。

 

相手の能力を信じる。

相手が本当はできること、これから上手くなることを言葉にすることって結構成長につながると思うんだよね。信頼って人を成長させると思うんだ。

 

 

 

 

 

後記

 

仕事では別の顔というような仕事の仕方ではなくて、普段通りの自分が仕事場に行って仕事してるっていうのが理想。先生だから勉強を教えているのではなくて、教えるのが好きな自分自身がいて、教師を始めたというような仕事イメージを実現したい。実際は、とにかく稼ぎたいという理由で始めた時間講師という仕事であるが、徐々に自然な感じに近づいている気がする。これからは厳しく、やらなければならないこと、逃げないことを教えられるようになるのが目標。その際に相手の課題に土足で踏み込まないことを覚ておきつつ接していきたい。