ゲンキのブログ

書評とか経済とか、あと日常とか

プレミアムフライデー、シャイニングマンデーについて。

プレミアムフライデー」という政策に対して、

「シャイニングマンデー」という政策もあったらしい。

 

月曜日の午前中を休みにして、日曜日の外出や夕方遅くまでの消費活動時間の確保を目指すための政策であるとのこと。

 

多くの企業が「定時出勤」という形態をとっているからこそこのような政策が考えられるのかもしれないが、定時出勤をするのは「同じ時間に集まらないとできない仕事」があるから人々は「集合して集団として仕事を行う」のだと思う。

 

例えば「移動組み立てライン式」などの製造業などでは様々な過程が分業されているから、ある程度の作業人数が同じタイミング同じ場所に集まらなければ務まらないだろう。塾の講師なども「夕方同じ時間に、生徒と講師のタイミングが重なること」で「授業=経営?活動」が可能になる。

 

日本の企業には「時間をうまく使えていない企業」がいくつあるのか。

 

月曜日、金曜日の時間を確保するのは長期的かつ平均的な時間の確保。

一方の有給休暇を消費することは、短期的な1日単位の長めの時間の確保。

 

どちらも時間を確保し消費活動の推進を図るものであるが、

「労働時間=タイムカード=企業拘束時間=物理的に会社内部にいること」というイメジ。出勤には通勤時間も実際には入るから、労働時間+出勤時間がある程度現実的な私的な労働時間。

 

とりま、出勤することが働くことではないので、

ノマド的な時間を推奨するのも大事なんじゃね。

 

自分自身出勤にかける時間は極力避けたいので、

「出勤=仕事ではないことような形にしていく」こと、

「出勤時間を定めないでも作業が可能な状況」を増やすことに力を入れたい。

 

大学もわざわざ集まって勉強をする意味はほとんどない。

「映像授業ライブ配信」もしくは「完全映像授業」にすることで

「講師、学生の出勤時間削減」

「教室という場所の削減」

「自分の学習したい場所、好きなタイミングでの学習の実現」

「授業の映像化による繰り返し使用できる資本の形成」

などが考えられる。

 

企業形態が複雑であるので、

政府が活動時間を推奨することはあまり意味がない、もしくは無理なのかもしれない。

 

そんな感じ。

 

 

げんき

コンビニ店員について。

 

お客様との接客が当店の売りです

もしくは

わざわざ人の手で商品を渡すのに意味がある

 

ってうのは、結構妄信的なところがある気がする。

 

 

とりま早く

ペッパー君がお会計してくれるか、

全部セルフ会計にするか、

ICチップ通すだけでお会計完了っていう、

 

接客ならぬ、

「接店員なし」コンビニ、増やしたい。

 

なんでかっていうのは、

そもそも個人的にかもしれないけど、

「店員との接客を求めてない」から。

「お客様の接客」

ってのは見当はずれなニーズ。

 

そんなこと思った。

 

結論

コンビニ店員無くすべき。

 

げんき。

デールカーネギー 人前で話す方法 メモ

聴衆の自己中心性をくすぐる話を。自分自身に関わる話は自然と耳を傾けてしまうもので、それをうまくつか痛ということが大切になってくる。健康や月給に関するはなし、記憶の方法など様々な方法について語るのも有効である。自分自身が観客のみになって、どういう話を聞きたいかを考えて見ることも、良い演説へとつながる。自分自身が精通している話を織り交ぜること、自分が実際に体験していることを話すことはもちろん具体性があって面白いが、その人の自己顕示欲を満たしているだけと捉えかねないので注意が必要である。ここで使えるのは「あなた方」という声かけである。誰に話しているのかを明確にし、話してあなた方に話しているというのを主語で表現する。さらに「私たち、我々」とすることで、話し手と、利き手の一体感を作り上げることができるのである。

 

長話も禁物である。例えばが工の授業を例にとって考えて見ると、授業時間をめいいっぱい使わなくてはいけないために、くだらない会話や持論で時間を使ってしまう人がいる。もしくは、90分間をつ合わなくてはいけないために50分ほどで済む内容を引き延ばしている薄い講師もいるのが事実である。話は短くまとめて話せばそれでいいのだし、わざわざ90分間も使うかう必要のある授業がうちの大学には少なく感じる。藩士というものはまとめることで1分にでもできるものであるから、長い授業が素晴らしいというのは根本的に間違っているのである。

 

要点は一つに絞るべき。話している途中でいくつもの要点が出てきたのであれば話す内容がいくつあるのか数字を使って表現するべき。一つ目は、、、3つ目はなんていう風にだ。そうすることで話の流れが出来上がり、何を話しているのか要点だけ覚えておけば良いということになり、聞き手にとっても無駄な話を覚えて置かずに済むのである。

 

反対者を味方につけるために。

我々人間は理解し合える存在であるが、それにもかかわらず意見の対立や派閥が起きてしまうのはなぜであろうか。些細なことでもめあい、仲が悪いまま合わなくなってしまったなんていうことは大いにあるのではないだろうか。そのような状態を解決できるとしたら、「時間をかけてゆっくりと話し合う」ことが必要である。人間誰でもこのような話し合いの時間を設けることができるのであれば、理解をすることができるのである。お互いの間で何が問題となっているのかをきちんと話し合うことで、差異やこだわりが見えてくるはずである。話し合いの場を設けることが大事である。

 

クライマックス法とアンチクライマックス法。話のメイン・テーマを最後に持ってくるのがクライマックス法。話のメインテーマを先に話してしまうのがアンチクライマックス法であり、聴衆の関心や、集中度が低い場合は、先に結論を述べてしまうアンチクライマックス法が有効である。興味ない話を長々ときかされ、最後の最後に大事な部分を持ってくるという、じれったい話し方では、つまらない部分が強調されてしまい大事な話も半減してしまう。まず初めにクライマックスを持ってくることによって、いきなりピークの助様態から話を始めることができる。はじめから全力投球で話を始める感覚と言ってもいいかもしれない。

余談だが、自分自身の塾の授業中にもこのやり方は取り入れており、

「今日何を行うのか、」「今日覚えるべきは何か」を2、3点に絞って先に話をしてしまう。そのあとで解説という形をとることにより、大事なポイントが分かるだけでなく、話の全体を冒頭でイメージすることができるのである。この方法は時間を短縮することにもつながり一石二鳥である。

前置きを省いていきなり話題の中心に入っていくという心意気を覚えて起きたい。

グリットGRIT?メモ

人間に必要なのは、成功する方法よりも挫折に対処する「困難への対処法である」挫折を経験した際に、「自分には能力がない」と決めつけてしまうとそれだけでそのほかの所作にも悪影響がてきてしまう。さらに、困難に向き合う際は、長期的な付き合いも必要であることを忘れてはいけない。難しいことをすぐさま解決しようと焦ってしまう人がいるがこれではおざなりな解決となってしまう。時間をかけて自分自身の苦手と向き合うことが大事である。時間が解決してくれると言うことではなく、粘り強く挑戦し続けることが大切である。

神聖化という危うさ。才能というのは「努力不足」もしくは「努力を嫌う」人が生み出した、「努力をしない」という目標に対する解決方なのであろう。努力をしないという目標のために「相手を才能を持っている」などと決めつけるのである。きっとこの世の中に才能だけで生きている人はいない。才能ではなくその人の努力に目を向けることが、その人の本質を見る上でも大切になってくる。オリンピックなどで特定の人物が天才だと感じるのは4年間の努力が見流ことができて否からである。努力するのが当たり前ということを言いたいわけではないが、努力をする前から天才と読んでしまうのは一種の逃げである。

 

 

 

 

動機を持続すること。物事を始める際に「気合を入れて」取り組む人と「何気なく取り組み始める人」どちらの方が長続きするかというと「何気なく取り組み始める人」である。もしくは継続することを目的とする人は物事を達成できる可能性が高い。成功の一つの道として系継続が挙げられるからである。短い時間で物事を解決するのももちろん大切な心がけではあるが、自然な状態でとりくめないということは動機が不自然であり、いつか力尽きてしまうだろう。

 

目標の選び方。まずたくさんの目標を書いて見てそのなかから重要なものに印をつけておく。その中で描かれる多くの目標は注意の目標であり、一番大切な目標ではない。一番重要な目標は「重要さ」「面白さ」の基準で選ぶこと。その中で絞られた1〜3この目標だけに力をそそぐべきなのである。そして、一番の目標にこだわり続ける必要はなく、もっと面白い目標が思いついたらそちらに移行することも大切である。一つの目標にこだわり続ける必要はないのである。ことの始まりはなんでも良い。それより大切なのは、動機を継続させること。動機が継続しているかどうかの指標は行動できているか、その目標に対して努力ができているかを基準とするべきである。

 

 

アドラー 心理学 メモ

哲学とは愛知学であり、哲学を愛する人は愛知者なのである。

歩みを止めて途中で飛び降りることを宗教といい、永遠に歩み続けることである。

もし、全てを知り尽くしてしまったらそれは哲学の終わりである。

 

教育とは介入ではなく、「自立へ向けた援助であることを。

 

尊敬とはありのままにその人のことを見ること。まずは子供に対して尊敬の念を抱くことから始めるべき。役割として教える側としての人間であるから、教えられる立場である子供たちのことを敬わなければならない。

 

その人をその人らしく成長発展していけるように気遣うことでもある。

それが尊敬という意味。

尊敬することは勇気づけの原点にもなりうるものであるから、できるようになることが人間関係を気づく上での基本となる。

 

その尊敬の最初の一歩を踏み出すのは誰でもなく我々自身なのである。

 

 

我々は過去の事柄に縛られて生きているのではなく、過去の事実をどのように意味付けているか、過去にどのような意味を与えて生きているかによって自らの性を決定しているのである。今を肯定するために、不幸だった過去お肯定すること。

 

人間は今の目的にあった事柄だけを選択し、意味づけを施し、自らの記憶としている、今の目的に反する過去は忘れているのである。今生きている自分自信が過去を決定している考えるのである。悪いあの人とかわいそうな私。これからどうするか。それが大事である。カウンセリングの際にも使われるこの方法は日常でも使えそうである。話すことがないところには話をしない。

 

 

問題行動の原点とは。

一つめは「称賛の欲求」であり、「褒められることを目的とし、共同体の中で特権的な地位を占めることが目的なのである。」彼らはいいことをしているのではなく、褒められることをしているだけに過ぎない。誰からも褒められないのであれば、特別視しないのであればその行動はしなくなってしまうのである。

二つ目は注意喚起。いいことをしたのに褒められない場合は、褒められなくてもいいからとにかく目立ってやろうという考えが芽生える。この時の子供たちは、悪くあることではなく、目立つことがいちばんのもくてき担っている。

問題行動の三つ目は「権力争い」である。不従順であることによって自分の力を証明したいという安価な優越性を手に入れたいだけである。

四段階目は復讐である。ただひたすらあいての嫌がる王を繰り返すことによって復習を考えることもある。ストーカーなどもこの一環に含まれる。自傷行為なども、復讐の一環であり、このようになってしまったのはお前のせいだと訴えている。

 

問題行動の五段階目は「無能の証明」である。

あらゆる課題から逃げ回り、周囲に対してはこれだけ無能だから課題を与えないでくれ、自分には解決する能力がないのである。と表明し始める。最初からできるはずがないと諦めてしまう方が楽であるから。自分自信が無能であることを証明すると、自分自身もいつの間にか、自分はバカだからというようになってしまう。

 

自分自身の理性を使うことを恐れないこと。つまり、他社の指示を仰いで生きいくなということ。人間他人からの指示があった方が生きていくのは楽ではあるが、それでは能力を使えていないことになる。精神的に未成年である人は、理性が働いていない人が多いのである。

 

自分自身の価値を自分自身で決めることを自立と捉えること。普通であることの勇気を持つことによって、ありのままでいることができる。人と違うことに身を置くのではなく、自分自身であることに焦点を当てること。

 

他者を救うことによって自分自身が救われようとすることをメサイヤコンプレックスと呼び、一種の心的な倒錯である。

 

信用とは条件付きので信じることであり、信頼とは無条件で相手を信じることである。人間の価値はどのような職業についたかではなく、その職業に対してどのように取り組むかで評価される。もちろん仕事に対する能力の評価はあるが、別問題としてこの人と一緒に働きたいか、この人が困った時に助けたいかというきじゅんがあり、これは「その人が仕事に取り組む誠実さや、取り組む姿勢によって決められる。

 

他社のことを信頼できるかどうかは、他社のことを尊敬できるかどうかにかかっている。

 

仲間に恵まれないのは仲間を作ろうとしていないだけ。つまり、対人関係に踏み出そうとしていないだけなのである。何が与えられたかではなく対人関係においても、与えら得たものをどう使うかが問題となってくる。たとえその人が嘘をついていたとしても、嘘をついているその人ごと信じてしまうということ。本当の信頼とは能動的な働きかけのことである。

信じてくれるから信じるのではなく、先に相手のことを信じることが大切。我々は自分のことを信じてくれる人の言葉しか信じることはできない。あなたが私のことを信じようと信じまいと、私はあなたのことを信じる。信じ続けることが無条件の本当の意味である。自分を信じることができなければ、他者を信じることはできない。自分を愛することができなければ他人を愛することができない。言い換えると、他人を信じること、他人を愛することは自分自身を信じていること、愛していることにつながるのである。ありのままの自分を受け入れる音ができず、絶え間なき不安にさらされているからこそ、自分自身にしか関心が向かないのである。

我々は分かり合えない存在であるからこそ信じるしかない。

 

なんでもない日々が試練であり、今この瞬間に決断を求められている。

 

愛とは純粋かつ自然的な機能ではない。

石の力によって何もないところから築き上げるものだから愛のタスクは困難なのである。

 

他者から愛されるよりも他者を愛すること、愛する技術を身に付けること。

愛によって自分自身から解放されなくてはいけなく、愛こそが自分自身からの解放なのである。

 

愛するという行為を恐れている人はたくさんいて、相手の心にも愛が生まれるだろうという希望全部の面に希望を委ねることである。相手が自分のことをどう思っているかに関わらず相手のことをただ愛する。愛に身をゲルということなのである。

我々は他者を愛するということで飲み自分自身を解放することができ、自立をすることができる。他者を愛することによってのみ共同体感覚にたどり着くのである。最良の別れに向けた努力をしていくべきなのである。

 

 

 

自分自身が置かれている環境が特別だから、自分自身が他の人とは違ってしまうっていうのはうぬぼれからくるんだろうなあ。普通を知ってる人ってあんまりいないよな。

 

自分自身を信じることができないから、他者を信じることができず、交友の関係に踏み出すことができない。

グリットGRIT やり抜く力 メモ

 

 

目的というものは、なぜその課題に取り組むのかという質問に対する時部分なりに出す最終的な答えのことを指す。目的というものはそれが社会にとってどのように役に立つのかということを考えることによってる繰り出すことが多い。目的がなくても課題を取り組んでも構わないのであるが、漠然とした行動よりも、意図的な目標目的を備えることによって取り組みの姿勢が上がる。目的を作り上げるには目的となる人物「ロールモデル」からインスピレーションを受けることも大切になる。

 

解けない問題が発生した時には、なぜその問題が解けなくなってしまったのかを考えるが、そのときのフィードバックで大切なのは、「能力がなくて解けなかったのではない」ということである。「もうちょっと頑張れば解けたね」とか「今回は問題の範囲が広かったねなどと」いう風に声をかけることが大事である。人間は成長できる、努力をすることで買われるということを教えていくことが大切である。フィードバックは直接でなくとも良い。「もっと上手になれると思うのでコメントを書きました」という付箋でのフィードバックなども有効である。教育とは「どれだけ相手に与えることができたか」でhなく「子供がどれだけ受け取ることができたかに依存している。「高い期待と惜しみない支援を子供達に与えることでその子は成長していくことができるのである。

 

学習性無力感というものがある。これは「何をやっても手応えがない場合」に、目標を断念してしまうことを言う。ある意味、帰納的無力感のことである。1回目が失敗2回目も失敗となると、きっと3回目も失敗するだろうと考えるのがこの無力感の特徴である。これを逆に当てはめると、1回目成功、2回目も成功と続けばきっとその後の成長はうまく捗るであろう。小さな成功体験を積み上げることにより、大きな成功への一歩目の挑戦を促せるようになるため、大事な考え方である。

 

才能を伸ばすためには、うまくいったことをつづけていくと言うことが一つ大切である。常に実験をし続ける、試して見ると言うことが大切であり、小さなことでも良いから多くのことを試すことが大切であると言うのがここでの考え方である。

 

何事もポジティブな言葉で考えること。

自分自身に努力が足りないのではなく、まだ努力できることがある、という言葉選び。これは思考のトレーニングといって仕舞えばそれはそれでうまく続けられると思う。

 

時間前行動は相手への敬意の表れである。

デールカーネギー メモ

 

感想 兼 後記

 

 

デールカーデギーを読んで。

デールカーネギーの本は「対人関係の悩みの解消」ということで多くのことが書かれており、その解決法はほとんどが実体験に基づく「経験則」である。夜中眠れない人が、起きている間を活用して勉強を進めていったら、トップクラスの成績を手にすることができたことなどである。

 

これらはデールカーネギーが一人一人本人と対話をした上で書かれた事実であるから、説得力も感じられる。

 

しかし少し気になったのは、デールカーネギーの解決法の中に、

宗教性」を感じるところである。僕自身宗教を批判してるということではないが、

信じることによって救われるというのは、現実逃避や、問題の回避に感じてしまう。

 

過ちを犯した人間が、神に罪を吐露することで救われるのが正しいやり方であろうか。

それよりも、謝罪を述べること行動で示すことが必要である。

 

宗教が出てくるべきなのはその後で良い。

人事を尽くして天命を待つではないが、

人事を尽くして償いきれないならば、「天命」、つまり神への祈りが必要となる。

 

僕自身実際に聖書を読んでいたことがあり、最近でもよく読むことはある。

しかし、それは宗教的な信仰を育てるためではなく、「聖書」という書物への

関心である。

神への関心、信仰への関心ではない。

聖書には何が書いてあるのかを知りたいだけである。

 

つまり聖書に「信仰せよ」と書いてあるから信仰をするのではなく、

「聖書には信仰せよと書いてあるんだ」というところで終了である。

その先はない。

 

もちろん考え方としては納得いくものもあるが、

聖書以上に学ぶことができる書物は他にもたくさんあることを

読書を通し感じつつある。

例えばアドラー心理学の本などはより良い対人関係を気づく上で有効である。

 

聖書とは人間のためにあるのであり、

人間が聖書のために生きているのではない。

 

うまく使うべきツールなのである。

 

そんな一部を除けばデールカーネギーの本書、関連書は

身になる知識がたくさんあった。

 

何を身につけることができるかは人それぞれであるから、

僕とは違う観点でこのほんを読んでいる人もいるのかもしれない。

 

ーげんきー

 

 

 

 

 

今日1日の区切りで生きること。

 

明日のことは考えない。

明日のことは明日の自分が考えるだろう。

 

1日の苦労はその1日だけで十分だ。

 

昨日の問題で悩んでいる暇はない。

過去のことにこだわっていたら身がもたない。

 

砂時計を早く落とす方法は何もしないことである。

 

一つの行動に一つの感情。

 

一度に一度の砂、一度に一つの仕事。

 

今から就寝の間までの時間を生きるだけで満足しよう。 

 

毎日が新しい人生である感覚。

 

 

 

 

 

 

小さな子供はもっと大きくなったらという。

大きくなったら子供は大人になったらなんていう。

大人になると結婚したら。

結婚したら退職したらという。

 

いまを生きるべきである。

 

 

 

 

 

悩みへの対処法

 

起こりうる最悪の事態を想定すること、 

最悪の場合を受け入れなければならないことを受け入れること。

その状態を好転できるよう努力すること

 

 

  

悩みとは心の葛藤である。

 

 

 

 

 

 

全世界を手に入れたとしても健康を損ねてしまったら元も子もない。

若死にするくらいなら、平社員でいる方がよっぽ良い。

 

事業の成功と自分の健康を引き換えにした人間。

 

心と肉体は一つのものであり

切り離して治療することはできない。

 

 

 

 

 

 

悩みの分析

1、事実の把握

2、事実の分析

3、実行

 

「人間は思考する努力を省きたいために、あらゆる方便に頼ろうとする。」

 

 

問題を表現できたときに半分は解決している。

  

悩んでいる事実を書き出す

それについてできることを書く

どうするかを決める

実行する。

 

それが悩みへの対処法。

 

 

考え方。思考の仕方。 

人間は一度に一つの思考をするべきである

 

もし悩んで言えるならば、

仕事を忙しくすればいい。

 

神経症という人はとにかく忙しくして入れば解決する。

 

忙しくないと心に空きができて

ネガティブになりやすい。

 

悩みは活動している時よりも、

仕事が終わったときにとりつきやすい。

 

悩みに対する治療法は建設的な作業に没頭すること。

 

常に忙しい状態でいること。

思考を必要とする作業でないと、

慣れた作業の中では思考が芽生えるからである。

 

 

 

人事を尽くして天命を待つ

避けられない事実には調子を合わせること。

 

 

手の施しようがない事実に直面したら、事実の成り行きに任せることが必要。

 

意志の力でどうしようもない場合は悩んだりしないど良い。

 

 

行動を変えれば感情も変わる。

 

嫌いな人ほど

愛情を持って接しなければいけない。

 

苦労しているのはこの世でじぶん一人と考えている。

それがネガティブな人の思考法なのかもしれない。

 

席には自分一人。

 

自分の持っているものに満足すること。

 

就職希望者の犯す最大の誤りは

本来の自分ではなくなるということである。

後々苦しめられるのは自分自身であるから、

本当の自分を話せるように努力をするべき。

 

 

損失から利益を生み出すこと

ここで明瞭な頭脳と明晰な思考が必要。

 

たとえ成功しなくとも、マイナスをプラスにすることで前を向くことができる。

 

 

 

喧嘩をせずに立ち去るのは、

喧嘩をする以上に勇気のいることである。

 

 

 

毎日どうしたら他人を喜ばすことができるかを実行することである。

 

心の病気とは協調性の不足かもしれない。

 

 

自己憐憫に溺れる。 

 そんな人は

慰められるよりかは慰めることを

理解されるよりかは理解することを

愛されるよりかは愛することを

 

 

 

対話、雑談は相手を探る行為である。

もうその段階は脱しよう。

世界を信じることができればそれで良い。

 

 

精神作業だけでは人間は疲れない。

 

緊張感情の混乱なやみが疲労の最大原則。

 

全身が消費しているエネルギーの4分の1は目が披露している。

 

仕事の成果を測るのにどれだけ疲れていないかを基準にする。

悩みを打ち明けるとこをカタルシスという。

自分の悩みを打ち明けて、神経の緊張を追い出すことができる。

 

できるだけその場で処理する。それが大事。

 

眠れないときは

眠れるまで仕事をする。

活動し続ける。

起きていられないほど肉体を物理的に疲労させること。

 

できることをどんどん行っていこう。

小さなことでも続けていくことが大事である。