meta 「アドラー心理学」「嫌われる勇気」その2
2019/2/27
共同体感覚これを身につければ我々は仲睦まじく生きていける。
その上で次のタスクに取り組むのだ。
1交友のタスク
2愛のタスク
3仕事のタスク
ポジティブになろうよ!
っていっている人は、
自分自身の中にネガティブがあるから
「ポジティブになろうよ」というのである。
「ネガティブを捉えること、
そしてその上でポジティブになっていくこと」
ネガティブを否定するのではなく
ネガティブを受け入れた上で
共にポジティブになっていく。
そうしないと自己否定が始まってしまう。
ネガティブな感情は存在していいもの。
むしろそれがあるからこそ成長できるんだ。
ネガティブはきっとあなたの自分自身だから、
自分自身を否定しないところから始めてほしい。
げんき。
前回は
①目的論と原因論
アドラー=目的論
「大声を出すために怒りを作り出す」
②不幸と幸福の選択
「不幸な人間は自ら不幸を選択している。
不幸が都合がいいから」
について書いたのでその続き。
「全ての悩みは対人関係」
3全ての悩みは対人関係
−孤独感、劣等感
人間は孤独を感じるのにすら、他人が必要でる。
もし、
人間の悩みがなくなるのだとしたらそれは、
映画でいうと「I am legend」のウィルスミス状態。
この世に自分一人以外誰もいない環境でなければダメだ。
つまり、
対人関係をうまくこなしていくことで
人間は悩みが減り、幸せへと向かうのだ。
減らせる悩みの1つとして、
アドラーは劣等感を挙げている。
劣等感は人間が生きる上で
健康的に作用することが少なくない。
しかし、
劣等感を理由に行動ができないと言いだした時、
アドラーはそれを劣等感ではなく
「劣等コンプレックス」と呼ぶ。
身長が低いからモテない。
デブだからモテない。
というのは劣等コンプレックスの
良い例である。
彼らは、
「身長が高ければモテる」
「痩せてたらモテる」ことを暗示したいのだ。
さらに「不幸」によって「特別」であろうとする不幸自慢者は、不幸を用いて相手を支配しようとするのが目的だ。
自らの不幸を「特別」であるために使っている限り幸せになることはできない。
念押しだが、劣等感はあって良いものである。
健全な劣等感とは、「他者比較」ではなく
「理想の自分」との比較から生まれるものである。
我々人間は、「同じではないけれど対等」であることを覚えていてほしい。
他人を越そうと努力するのではなく、
自分自信の成長を促すことに努力をすれば良い
今風にいうと、マイペースに進むべきである。
自分自身に集中することは意外と難しい。
4色々な考え方
他人の幸せは「自分の負け」であるかのように考える人は、他人のことを心から祝福することはできない。
このような心理状態に陥るわけも後で述べるが、「全世界の人間は私の仲間である」と考えることができるのならば、他人の幸せを祝うことができるようになる。
その人の目的を考えることで、
相手を知ることができる。
勝利によって自分の力を誇示したい人間の、「権力争い道具」にはなってはいけない。
こういう人はただ単に目立ちたいがためにあなたを使っているに過ぎない。
たとえ権力争いにあなたが勝利できたとしても、その後に待っているのは「復讐」だ。
子供が自傷行為をして親の注目を浴びようとするのも、復讐の一環である。
正しいとか正しくないとかを考えている時点で
「権力争い」に足を踏み入れているのである。
本当の正しさとは、
あなたが正しいと思えば他人の意見など関係ないからである。
正しさはある一人の人間の中で完結するのだ。
では、
なぜ他社を「仲間」と見なせないのか。
それは、
「人生のタスク」から逃げているに過ぎない。
5人生のタスクとは。
行動面でのタスクは
①自立すること
②社会と調和すること
であり、
精神面でのタスクがさらに2つ。
①私には能力があると言う意識
②人々は私の仲間であると言う意識
これらを達成しようとする上で、
「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」は避けることができない。
社会人として自立する上でこの3つのタスクが
人生のタスクとなり、直面せざるをえないのである。
特に愛のタスクは最も難しいと言われている。
一緒にいると自由に振る舞えると感じる人と生きているとき、
その時やっと愛を感じることができるからである。
もし彼らのタスクをこなせていないのなら
逃げてはならず、このままでもいけないのだ。
アドラーは人生の嘘と呼ぶ「タスク回避」。
これを克服するにはやはり勇気が必要なのである。
後記
改めて読み返してみると
再度学べることが多い反面、
文字量もなかなか多めになってきた。
3部構成で終わらせたい。
そろそろ自分でも疲れる。笑