ゲンキのブログ

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選挙について。

 

選挙というのは国民の意思によって決められているという点が、

抽象的で合理的でないと感じる。

 

高校や大学は受験という、明確な基準があるテストを受けることによって

その人の能力を測ることができるが、

選挙というのはそのような学力であったり、

能力を判断しているタイミングというのが少ないように感じる。

 

「なんとなく人が良さそうだから」

「なんとなくテレビで知っているから」

「演説頑張っているから」

 

という理由で決められているような気がする。

言い換えるならば「努力論」。

成果よりも、頑張っている姿勢や途中過程を美徳とするような決定の仕方。

 

もしそれだけで、「資質のある人間」を見抜くことができなければ

もったいなくない?

損をするのは結局自分たちだし。

 

選挙に限らず、首相の選出のされ方についてもイマイチ知らない。

国会議員の中から選ばれるというが、その選ばれ方を知らないのは

個人的にやばいけど知らないものは知らない。笑

 

今までの首相が悪かったとか、

現状の政権が悪いとかいう話をしたいわけではなくて

首相につける「基準」を厳格に明記されていないのであれば、

基準を明記した方がより確実な人員選択をすることができるような気がする。

 

自分たちは今現在選ぶ側の人間であるが、

どのように選挙での投票をすればいいかという基準がわからない。

少なくとも僕自身。

 

僕たちがわからないままの方が都合がいいことはたくさんあるし、

僕たちがわからない方が、僕たちにとって有益なこともあるのかもしれない。

 

高校生が選挙権を持つことができるようになったのは

「若いうちから政治に興味を持ってもらうこと(将来性)」と

「とりあえず現状維持でいいや(現在性)」という票を確保する一つの手段なのかもしレれない。

 

もしかしたら「高齢者有利な政治を行い票を獲得しようとしているのではないか」

という安倍政権の疑念を晴らすための措置であったのかもしれない。

 

 

さっきの話に戻ると、

首相になるにあたって必要なのは、

外交能力につながるコミュニケーション能力であったり、

テストや、能力試験などでは測れない「抽象的な信頼」なのかもしれない。

 

それなでも、下手な人員を選出しないためには、

国会にとっても国民にとってもある程度の基準は必要だと思う。

 

僕は変な議員が国会を動かせるとは思っていないし、

変な議員がいたらスキャンダルや不正で、政権にとっても不利に働くからである。

(いかにミスをしないかってのが国会の風潮だから、失敗するとすぐに叩かれる。そのかわり、うまくいったことに関しては当然というような顔つきであるようなイメージ。つまり、試行錯誤をしにくい環境がはびこっているんじゃないかなって思う。スポーツでいうとテニス。)

 

 

選挙について詳しいわけではないが

自分自身の持っている選挙に対するイメージはこんな感じ。

 

 

国会の仕組みについても調べる時間取ろうと思いました。

 

ーげんきー