[A4妄想]国家のない日本の先駆け。
日本について。
国の廃止。
JR鉄道の民営化に始まり、小泉内閣の施した「郵政民営化」など、
国家業務は時代を重ねるごとに減っているように感じる。
では、日本という国家はどこへ向かっているのか。
夜警国家と呼ばれる、
警備だけが国の仕事と呼ばれるような存在でも日本は
もしかしたらうまくやっていけるのではないだろうか。
それだけ「日本国民は自立できる」というのが僕の見方である。
今現在の政治に関する不信感からは、
「国に頼らずとも」という気概さえ感じることができる。
さて、一つ考えたいことがある。
それは、国というのは「国民の変わり身」であるのだろうか。
領土問題や慰安婦問題、それらの「国家規模の問題」は
「国家」の問題なのであり
「国民」の問題ではないと考えてしまうのが正直な意見だ。
私はトランプ大統領と話はしないが、アメリカに対して意見はいう。
さらに、北朝鮮などがミサイルを発射しても初めこそはミサイルという
「国民と国家」への脅威も、
時間が経てば「国家の問題」として変換されてしまう。
我々の安全を守れ、、、と。
あのミサイルはある意味「日本国民」と「日本国家」のあり方を見直す
いい機会だったのかもしれない。
このような意味では「変わり身としての国家」
「クレーム処理の国家」としては必要なのかもしれない。
それ以上の国の意味を見つけられずに、
いま日本という土地に住んでいる自分と僕の友人が日本には住んでいる。
この違和感どうしたものか。
「国」というものは時代的にも古くなるのではないだろうか。
「統治」という考えがもはや古いのかもしれない。
そんな考えを抱く。
げんき。