げんきのブログ

YoutuBlog書いてます「youtube」×「blog」

マインドセット ネガティブラーニング

「自然に自由に生きよう」なんていう風に思うと

いつの間にか「だりー」とか「死にたい」

とかいう感情が芽生えて来る。

「過去の失敗」を思い出してなんであんなことしたんだろうとか、

「過去にされた嫌なこと」を思い出して「あいつうざいなー」

なんてことをいとも簡単に思い出してしまう。

 

一つわかったのは「過去を思い出すこと」には

「ネガティブな感情」が結構ついて来ちゃう、というもの。

いい思い出とかもあるけれど、でもそれよりも僕の場合は

マイナスな感情が先行してしまう。

この感情は大概一人でいるときに起こる。

じゃあ友達といればいいじゃんと思うかもしれないけれど、

そういう状況の時は誰かといることでむしろ

「孤立感」が増してやばいことになる。

自分が場違いなのか相手が無頓着なのか、

そういう葛藤でさらに精神衛生が悪くなる。

だから、一人でいて辛いときには一人でいるのが自分の中では正解になっている。

人に迷惑かけたくないし。

 

辛いときに一人でいるのは「克服」という願いも兼ねて。

自分自身でその困難を克服する方法にたどり着ければ、

この先悩まされることは少なくなると思うから。

「誰か解いても孤立感を感じる」っていうのは、

そもそも自分自身の性格に問題がきっとあるから、

それをあぶり出すために「あえて孤立」している場合もある。

人間関係の対照実験的なもの。

人といる時でも嫌になるのかそれとも、人といれば大丈夫なのか。

そんなことを実生活で比較しながらあえて孤立する。

孤独な人って多分こんなことしているんじゃないだろうか。(適当)

 

で、こういう感情の中で特に厄介なのが

「死にたい」っていうありきたりだけどバカにできない感情。

「人はいつか死ぬ」とか「意味はないけれど死にたい。」という

おそらく現状不満足からくる感情が度々自分自身を襲う。

「希望」とか「幸せ」とかいう意味もわからないし、

むしろそう言っている人たちのことを蔑んでいる自分がいつもいた。

それは多分自分自身がうまく言っていないから嫉妬していたんだと思う。

今こうやって書いている時間はある程度ましな状態だけれど、

でもいつの間にか自分でも気づかない間に

自分自身の感情を自分自身で汚染してしまう傾向にある。

 

でも最近わかったのは、

「きちんとしたものを食べる」とか「ある程度運動する」

とかいうことで「物理的に安定」させることができるかもしれないということ。

よく聞く話だけれど「感情は脳にある」という意見は賛成だし、

ちょっとした救い。自分自身でどうにかできるっていう希望がね、

芽生えるというか。

心とか感情というものをふわふわした

触れることのできないもののように捉えがちだったけれど、

それはこの先、減ると思う。

 

こんな自分自身が「成長」や「更生」して行くために

次に頑張りたいのが「許す」ということ。

何に関しても根に持って相手のことを覚えていたりしてしまう。マジで。

自分自身は多分「多様性が大事」とか思っている割には

「多様性の嫌悪感」「新しい人間の拒絶」が自然と起こってしまう。

だから、人を許すとか、謙虚な行動をすることができれば

自身の成長に繋がるんじゃないかなとか思って試して行く。

 

うまくいかなかったら、

それはそれでまたやり方変えてやって行けばいいや

 

今日こんな風に、「自分自身」について省みるきっかけになったのは

マインドセット キャロルSドゥエック著」を読んでいる最中のこと。

思い立ったのでさーっと書いてみた。

 

アドラー心理学に次ぐ良書と自分では思っているので、

成長のための「心の準備」「心の技術」について知りたい

成長意欲のある人はぜひ。

 

 

 

 

 

回顧の一冊でしたわ。 

 

 

 

 

げんき。