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【メモ公開】教育社会とジェンダー

教育社会とジェンダー

河野銀子

 

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教育社会とジェンダー

 


男や女の定義はそう簡単にできるものではないとしている昨今の科学を踏まえておこう。

 


今はまだ異性愛が普遍的であるから、心の中で同性愛に悩む子や、アンケートなどで性別を答えづらい生徒がいるのは把握しよう。

 


身体的、心理的暴力を受けていたり、給食費が払えないなどの問題に対しあなた自身が対処しなくてはならないのである。

 


1960に性差が問題視され

1970に第二波フェミニズムの時代となった

1980には機会均等のはずが結果の不平等を招いた

 


1990以降はジェンダーの教育に力が入れられる時代であった

 


文化と社会の多様性、人間のアイデンディティは変わらないものであるという認識、社会の影響を受けないという前提があるのかも知れない。

 


出席の時はくんちゃんではなかさん付け、整列の時は男の子、女の子順というようにジェンダー集団に基づく処遇も見られている。

 


男性は能動的で女性は受動的という観点がすでにおかしいのかも。

 


男性が権威的で、女性が若いなどの描写は変わらずら男は家の外女は家の中という構造は変わらなかった。

むしろ増加している。

 


女の子には美と弱さが描かれている。

女らしさの表現、家庭性や男に尽くす、容貌への執着や家庭性の強調が進んでいる。

 


身体的性、性自認性的指向(好きになる相手の性別)、性表現(言葉遣いなど)

 


生まれながらの体による性判断に違和感をもたない人をシスジェンダーと呼ぶ。

 


ほかにもインターセックスパンセクシャル、エックスジェンダークィア、クエスチョニングなどがある。

 


クラスに1.2人くらいの割合でLGBTはいる

 


10代のゲイ、バイセクシャル自傷行為の経験率が2倍以上。

 


ホモはゲイに、レズはレズビアンというだけで丁寧な表現になる。マイクロアグレッション、無知や偏見による小さな攻撃にならないように。

 


了解を得ないで相手のセクシュアリティを公開することを合うティングと呼び、実際に自殺を行う事件もあった

 


フォビアとは嫌う意味である

 

 

 

 


どの性別で生きていきたいかではなくどの性別として認識されたいかという承認欲求的な部分もある。

 


男と女を時と場合によって行ったり来たりできるような生き方ってよいなと思った。

 


カナダのピンクシャツデー・ピンクの服を着て行った、ホモといじめられて帰ってしまった。それに対して他の学生がピンクのシャツをみんなできて登校したという話、

 


1947に家庭科の教科が学校で始まった

 


同じ授業でも男子は競争で力を発揮するかも知れないが女子は強力で力を発揮するかも知れない。

 


隠れたカリキュラムなどに、ジェンダーは含まれるため、授業形式や男女別、体育などは気を使うべきである。

 


教科書の中のジェンダーバイアス

例えば女の人は家庭的であるなど。そう考えると国語の内容はなかなかひどいな、、

 


男は暴力、女は無力という偏見?

 


スイミーは優れたリーダー性と協力することが強調されているとみることも可能

 


男女の役割を逆転させて教科書を作ることも有効かもしれない。

 


思い出には部活動が思い出されることも多々あるくらい部活動は印象的である。

 


1980年代に学校の荒れが目立つようになりそれ以降に部活の強制加入が義務付けられて行った。また、クラブ活動と部活動はやや意味が異なる

 


長くとも平日2、休日3時間、週2日以上の休養日を設けることが義務付けられている。

 


日本代表の女子柔道チームの体罰や、大阪私立桜宮高校の男子バスケット部員の体罰など跡を立たない。

 


吹奏楽部でもジェンダーの問題はついてくる。

やはり女性の部員が多く、映画スイングガールでも男性は1人しか部員がいなかった。

 


男子野球部員内にいる、女監督。ジェンダー的にはどう考える?

 


女性は短大に進む方が多い。

短大には教育や幼稚園教育学科が多いのが特徴的である。

 


女子は息子に比べて家計に対する消費が少なくなってしまう傾向にある。男子の場合は家計が厳しくとも進学をしようと努めるが、女子の場合は進学を控えさせられる傾向があるとのこと。

 


日常生活における科学的事象の関心の程度は男女ともにおなじすうちであったから、隠れたカリキュラムである、男子は理系で女子は文系という影響は否めないのかも知れない。

 


ノコギリやドライバーを使う経験や、外遊びをする経験が女子は日常的に少ないのかも知れないのが原因?

 


つまり、理系に関する期待値が女子は少ないことも影響のひとつもしれない。

 


体験したことのない世界や期待されていない進路を選ぶことはしないし、選ぶとしても勇気や決意が必要となる。

 


女子の理系選択時には、好きな科目は多いがついていけるか不安であったり、親に文系を勧められたなどの理由から、選択するのに大変迷ったという回答が男子よりも多かった。

 


どの調査よりも学校の先生は男女平等であるという認識がされているが、校長や教頭は男性が多いなどの偏りは否めない

 


女性校長が少ないのは世界的にみても珍しい

 


男子が男子をまとめ、女子が女子をまとめるというのはジェンダーではなく、男女共生でしかない。

 


監督が女性であったり、女性監督が男性であったり女性であるというのはいかがなんだろう。どちらでもよいような、、でもどちらでも当たり前になるのが目標点。