げんきのブログ

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安定と可能性のトレードオフ

一方を選ぶともう一方が減るという関係を経済ワードで「トレードオフ」という。

例えば「駅からの近さ」と「家賃の高さ」であれば、

駅から遠くなれば家賃が低くなるが、駅まで歩いて行く時間が余計にかかる。

逆に駅から近くなれば駅まで歩いて行く時間は減るが、家賃は高くなると行ったときの

「家賃と駅までの時間」は「トレードオフ」と言える。

 

今日はそんな話。

 

 

 

 

 

当時、

オバマ大統領が黒人初の大統領として当選して、だいぶ湧き上がってて、

オバマ大統領がすごい」っていう風に見ちゃったんだけど、

でも、オバマ大統領に投票して行った国民もすごいなと。

 

「今までとは違う流れ」に自分の票を入れるっていう心があったから

オバマ大統領は当選できたんだなって。

 

選挙っていう制度自体が「国民の意思による代表選び」となっているから、

「誰が大統領になったか」というのは

「国民が今、将来に対して何を考えているか」っていう表れでもあると思う。

 

だから、日本でも今誰が首相をやっているのかというのは、

「国民が何を求めているのか」が簡単にわかるような仕組みがあればいいんだけれど、

でも、自分の所属している国だからかもしれないけれど

いまいちそれがわからない。

 

日本には日本人しかいいないから、アメリカみたいに

「黒人大統領」とかいう人種的なトピックもない。

 

最近なら「女性大統領」にヒラリークリントンが、、、、?

とかいうのもあったけど、日本では女性首相になる可能性は感じられない。

 

話題性があれば良いかというわけではないが、

そういった民族性とか、

自分とは関係ないんだという意識的な政治問題が

日本にはあると思う。

 

政治というのが国民とかけ離れている。

 

最近は十八歳から投票ができるということになったから、

早い段階からの「政治への関心」は高まりそうだけどそれにしても。

 

そう行った「話題性」で首相を選ぶという習慣が日本にはまだない。

「絶対に正しい選択をしなくてはいけない」という

「正解排他的」な意識を持っている人が多いのかもしれない。

 

「不純物を取り入れてみたら意外と成長してみた」っていう

ペニシリン」的な発見を意図的に行うという意識がないのかもしれない。

 

「目に見える安全、安定」を選ぶというのは

「将来の可能性」を選ばないと同じことである。

 

もちろん将来には不安定がつきものだが、

目先の安全に目を奪われて、

「可能性」に投資できていないのがどん詰まりの原因なんじゃないのか?

 

そんな「意思決定」も時には大事なはず。

 

 

「可能性と安定」のトレードオフの関係において、

まだまだ自分自身も含めて「目先の安定」を選んでしまっている。

 

将来の可能性をもたれせられるようなことやっていきたいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

げんき