「youtublog」偏見のない社会を目指して。習慣と性:ジェンダーを考え直す時間。
偏見やバイアスから逃れるためには、まずはその「認識」が必要となってくる。
この文章のを読み終わった後に
偏見を認識できた
と感じてもらうことを目標に。
★★個人と集団★★
個人には3つの人間関係が存在する。
自分1人だけの世界:個別的世界
好きな人といる世界:性的世界
集団に所属する世界:社会的世界
これらどれか一つに依存するのではなくバランスよく社会関係を築く必要がある。
もし、仮に社会的世界に依存状態にあると、その集団から排除された時や、集団から卒業するタイミングが来た時に、自分自身の居場所がなくなってしまうからだ。
今現在では受験自体が大人になるための通過儀礼として存在している。
「儀式」や「宗教催事」などによって、子供が大人になることもあったが今現代ではその風習が「受験」へと移り変わっている。
しかし、受験は本当に我々人間に役に立っているだろうか、、、
勉強による競争は本当に有益なのだろうか、、、
★★習慣という社会★★
「はじめのうちは機嫌をとるために自分が負けているがそれが習慣になるに従って相手は本当に強くなり、ついに自分がいくら本気でがんばっても勝てないようになってしまう」
習慣の恐怖を学んでもらいたい。何となく、そういうものだから、と呑気なことを言っていると、いつの間にかその状況から逃れられなくなってしまう。
習慣にとらわれないようにしよう。
かっこいい、強い、なんて言うのは1部の男性に対する偏見であり
かわいい、きれい、落ち着いているなどの言葉は女性に対する偏見である。
可愛い男性がいる事実、強い女性がいる事実を認識するところから始めよう。
性別の前に 人間として関わろう。
★★参考図書★★
★★感想★★
我々は常に偏見を持って生きている。
私は偏見を持っていないという人も「偏見がないという偏見」を持っているかもしれない。自分自身の偏見に気づくには相当意識しなくてはいけない。なぜかというと、「意識しないでいる自然な部分」が「偏見」だからである。「歩くのは楽しい」「スポーツが好き」「ゲームは楽しい」という当たり前のことが、嫌いな人もいるだろう。
そして、何よりの偏見は「常識」から生まれる。そうなっているから。慣習だから、伝統だから、、、そういうのは「思考停止」状態である。
まさにそんな時にこの社会学を用いてバイアス解除を行って見てはいかがだろうか。