げんきのブログ

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川崎市 溝の口 について

溝の口の歴史」

自分自身が住んでいた溝の口という街には、当時闇市が広がっていた。その名残で、西口商店街などでは昔ながらの八百屋が立ち並ぶ。今残っているのは十字屋くらいだが、中央商店街には安い果物屋野菜を売っている商店が一部並んでいる。また、溝の口には大山街道が通っており、246号線もその近くを通っている。この道は静岡県にも伸びているほど大きく、当時の幕府が使用したというよりかは、庶民がお参りの際に使う参道として利用されていたり、旅人のための宿泊施設が立ち並ぶことが多くあったそう。毎年夏には「区民祭」が開かれて、歩行者天国での屋台が毎年街を賑わせている。

さらに、地元の溝の口神社は伊勢神宮から分霊を受けている神社でもある。毎年、酉の市などのお祭りで賑わっているのが印象的だ。

さて、課題の一つ目の話であるが、そんな溝の口田園都市線南武線の結節点となっており、タクシーやバスロータリーも市民の足として活動している都市である。しかし、決して広い土地というわけではないので、交通渋滞や歩行者の安全確保が課題である。課題の二つ目には、駅周辺の活性化をはかるために、商業施設の受け入れや、遊休地の市による取得を目財していった。商業施設の例としては、『NOCTY』と呼ばれるマルイに併設されているデパートビルの開発をしてみたりである。NOCTYができたのは19年前の平成21年であるから、今現在どのような活動をしているのか、川崎市のホームページで調べてみたがイマイチでてこなかった。

 

「地域風紀開発」

実際に自分自身が住んでいて気づいた開発地区を今度は述べてみようと思う。まず、先ほど溝の口はバスや、タクシーなどの利用が活発であると述べたが、市民の足としては「自転車の利用」も活発である。ということはもちろん、自転車の無断駐車が目立っていた。この、「放置自転車」という課題に対して、ここ2、3年溝の口を含む高津地域では、「放置自転車の自転車の回収」活動をさらに強めたように感じる。僕自身も、自転車を持って行かれてしまったから、この活動は有効に働いていると感じる。さらに、方うち自転車の回収だけではなくて、溝の口の南口を再開発し、「自転車駐輪場」を増設した。この駐輪場は地上に止めるタイプではなく、地下駐輪場として設立されている。実際の利用常用はわからないが、溝の口の「ポレポレ通り」と呼ばれる、商店街に止めてあった自転車の数は確かに減ったように見えた。溝の口の街が少し綺麗なさっぱりした韻書を作れているのではないだろうか。

 

「サバイバル戦略」

自転車の駐輪場を作っただけで地域復興がされるとは思わない。きっと、市の職員の方もそう思ったに違いない。次に溝の口は「ゲームセンター再建築」を行なった。「タイトーステーション」というインベーダーがロゴの商業施設である。元々は「武蔵ボウル」というボウリングセンターが中心として活躍していたが、今ではユーフォーキャッチャーやアーケードゲームが主な活動施設となっている。新しく「カフェ」「飲食店(しゃぶ葉)」なども入り、庶民の憩いの場となっている。しかし、やはりゲームセンターということは若者にターゲットを向けていると考えるのが妥当であろう。若者の住みやすい街、明るく楽しい街というイメージを目指しているのだろうか。渋谷からも近いため、そちら方面からの流入も狙っているのかもしれない。

このように溝の口は「地域維持」という面で「自転車整備」、「市民の街」としての「商業施設(ゲームセンター)」の開発を行なっている。

「自分の考える産地革新」

溝の口はこれからどうなるべきなのだろうか。

市民視点でいうと、「映画館」が欲しいところだ。ボウリング場も、隣駅の高津駅に行けば「ラウンドワン」が存在する。溝の口にも武蔵ボウルはあるが「値段が3ゲーム二千円」となかなかの値段だ。中学生や高校生以上が遊ぶのは構わないが「小さな子供が遊ぶような施設」は少なく感じる。映画館があれば休日に親子で遊ぶことも可能だし、わざわざ二子玉川までいかなくとも映画を見ることができる。しかし、いらないといえばいらない。二子玉川までも10分足らずで到着することができるからである。

一つ問題点があるとすれば、昔ながらの伝統、が多いというところだろうか。最初に述べた闇市の名残がいまだに残っている。もしそれらの伝統がなくなれば、また新しい風を吹かせる企業や施設が参入してくるだろう。きっと溝の口の市民は溝の口が大好きなのである。だからこそ、新しい風が吹きにくいのも確かである。僕の結論としては、異色の活動を受け入れて、古きを壊し新しきを受け入れることがこれから溝の口が生き残る上では必要になってくると考える。

 

 

 

げんき。