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名言

 

ヘルマンヘッセの名言

 

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1・
小市民それは法に触れてさえなければ

多くの行動は許されていると考えたり

自分の都合のいい時だけ

公平や平等を訴えて生きる人のことだ

 

そんなことでは

狡猾で抜け目のない人間になってしまうだ。

 

 

2・
世間は風見鶏のようなものだ

日和見主義の集まりのことを世間と呼ぶ

 

 

3・
こんなに苦しみながらも

世間の人から罵られ悩ませられても

君はまだこの世界にまだ恋している

 

4・
常識をセーターのように身にまとい

常識こそ市民の心理だと思っている彼らは

民主主義を理想のものとし

常識的教養を蓄えることに勤しむ

 

そんな彼らは仏陀を理解できないし

彼らの目に映る聖人は狂人でしかない

 

 

3・
真理にしても神にしても

それは生身で体験するものだから

ただ知るものでは意味がないのだ。

 

4・

愛が欲しいならばそれなりの代償が必要だ。
愛の代償となるのはあなた自身の心だ。

 

 

5・
自分の気持ちや感性で世界文学を

勝手に好き嫌いしてもいいのだ

 

それが世界文学の役割

好かれること、嫌われること

それらを含めて良い作品として

残ってきたのである

 

好きな時に読み嫌いなときは読まないこと。

 

 

6・
絵を鑑賞するかのように世界を眺めなさい

 

 

7・
自分にとって過去が必要だったように

歴史というのはその時代その時代で

必要だったものの集まりである。

 

 

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感想

 

世間の色に染まるな

孤独に生きろとヘッセは言う

 

100年以上前に生きていたヘッセですら

常識や群れる人々の危険性について説いていた

 

群れる人は結局誰のことも信頼していない

 

今現在ヘッセの代わりに

「群れるな」

「他人に振り回されるな」

と言う言葉を投げかけるのは、

 

世間では「槍玉に挙げられる」ような

堀江貴文などの

「常識にとらわれない生き方」を

する人たちだろう。

 

当時も同じだったのかもしれない。

 

数パーセントの、孤独を貫く文学者と

世間を恐れ、不安と依存のかたまりのような

世間。

 

もしかしたら

孤独を生きる文学者が間違っていて、

世間のように群れるのが、

正しいという真理があるのかもしれない。

 

でもそれでも、

ヘッセのような生き方に

一種の憧れと

畏敬の念を持つのは、

なぜなんだろう。